由緒

当神社の起源については記録が明らかではないものの、伝承によれば光孝天皇仁和年間(平安時代初期、885年頃)にこの地の人々が住吉大神を祀り、のちに素戔嗚尊(すさのおのみこと)、大山咋命(おおやまくいのみこと)を配祀し、さらに一条天皇の御代に巨勢金岡卿(こせのかなおかきょう)を合祀し、金岡神社と称するようになったと伝えられています。

巨勢金岡卿は平安時代前期に活躍した宮廷画家であり、大和絵の太祖と呼ばれています。

大和絵とは当時主流だった唐絵(中国風の様式で描かれた絵)に対し、日本の風景や風俗を描いたもので、金岡卿はこの大和絵を成立させた最初の人物と伝えられています。

ただ、現存する作品は見つかっておらず、どのような画風であったかはわかりません。生没年も不詳ですが、清和天皇から醍醐天皇の時代に宮中に仕え、屏風などに絵を描いたとされています。

伝承によると、本社の所在地は巨勢金岡卿の隠棲の地であり、金岡卿はこの地の景観を愛し、絵を描き続けたと伝えられます。そうして晩年を過ごした金岡卿の名がこの地の地名(現在の金岡町など)の由来となっています。

以前は神社の北東約150mのところに金岡卿が絵筆を洗ったとされる金岡淵(通称筆洗いの池)がありましたが、現在は石碑(碑文は正木直彦氏の筆による)のみとなっています。

〈 巨勢金岡卿 〉

氏子区域

大阪府堺市北区:金岡町・新金岡町・長曽根町・蔵前町・南花田町・黒土町・中村町・野遠町・中百舌鳥町・向陵中町・東三国ヶ丘町

東区:石原町・白鷺町・野尻町・引野町・菩提町・八下町

美原区:小寺・大饗

松原市:河合町

ほか、他の氏子区域との境目などでわかりづらい場合は本社までお問い合わせください。